+ 第3話 +
触手モンスターを解放せよ

普段は見慣れた街角。
けれども、人目をはばかるようにそこから伸びる裏路地に迷い込めば、その街の別の姿が見えてきます。
子供には向かない大人の世界。
…この街の裏側には、人知れず、そんなものがあったのです。


舞台はミウたちの訪問から一夜明けて。
特に何も聞かされないまま、ミリルはミウとフィリスに引っ張られて、裏路地の奥の奥、薄汚れた劇場の前まで連れてこられました。
「…劇場? こんなところ、あたしも初めて見た…
 ところで、あたしをこんなところに連れてきて、どうかしたの?」
 劇場からは、いかがわしげな気配がぷんぷんしていました。ほんの少し鼻を利かせれば、男たちの醜悪な匂いさえ混じってきます。
 外見こそ普通の劇場なのですが、中でやっているのは、女の子のエッチなショウなのでしょう。証拠に、劇場の前には、ショウに出演する女の子の募集のちらしが貼ってありました。
「実は…行方不明になった触手モンスターが、この劇場で働かされてるみたいなんだ」

 触手モンスターが街中を散歩する事は、さしてめずらしくありません。
 しかし、そんな触手モンスターたちが忽然と行方不明になる事もまた、この街ではめずらしくありませんでした。
 話によると、その行方不明になった触手モンスターが、昨日のあの触手モンスターだというのです。
「そこで、ミリルにその救出を頼みたいんだ。私たちが小さくなって潜入するのは簡単だが、いざ救出となると無理だからな」
「お願い、ミリルたん」
「…まあ、そこまで言われたら断りはしないけど…
 でも、どうやって助けるわけ?」
 ミリルが聞くと、フィリスはちらしを破って、ミリルに突きつけました。
「2通りだな。客として潜入するか、働く事にして潜入するか。そのどっちかだろう」
「働くって…いくらなんでも、人前でそんなことできるわけが…」
「私としては働く方を勧めるが。
 こういう場所だ、客として潜入すれば、興奮した客に襲われかねないぞ」
 フィリスは至極真面目な顔で、働く方を勧めました。
「でも、あたしにかかれば男のひとりやふたり…」
「それに、客として潜入すると、おそらく触手モンスターが閉じ込められてるだろう舞台裏に、忍び込みづらくなる。一方、働く事にして入れば、それは簡単にかなうし、いざとなれば逃げればいい。
 それをふまえて、どうする? ミリル」
 フィリスの言う事は、確かに的を射ていました。
 しかし、フィリスの言う事は、時にミリルをあらぬ事態に陥れる事があるのです。
 ミリルはそんな事を思いつつも…
「ふにゅ…どうせ客として入るって言っても止めるんでしょ…」
 と、ぶつぶつと言いながら、しぶしぶ働く方を選択しました。
 これだけの意見を叩きつけられては、反論のしようがなかったのです。
「じゃあ、決まりだ。いったん家に戻ろう」
「え?」
「観客の中に知り合いとかいたらマズイだろう? ミウに変身薬を作ってもらって、別の人間に変身してから働きに行く事にしよう」


「フィリス姉〜、変身薬出来たよ〜〜!」
 リビングで、ミリルにフィリスが大まかな説明をし終わると、台所で変身薬を作っていたミウが鍋を持って戻ってきました。
 どういうわけか、鍋の中には緑色の液体が蠢いています。
 しかし、フィリスはそれを気にする事もなく、液体をコップにそそいで、ミリルに差し出しました。
 ミリルは、引きつった笑みでそれを受け取ります。
「…あのさ、これ、蠢いてるよーに見えるのは目の錯覚かな…?」
「大丈夫だよ〜。みゅ乳が入ってるから飲みやすいと思うよ?」
(…誰もそんな事は聞いてないよ…)
 そう思うミリルでしたが、ミウに自分の望む返答を求めることのほうが間違いだと思うと、再びコップとにらめっこ。
 飲もうとしてはまたにらめっこ。
 ……
「何を迷ってる? ささ、ぐい〜っと飲んで、ぐい〜っと」
 そのうちしびれを切らせたフィリスが、ミリルの手をとって無理矢理飲まそうとしました。
「あっ、ちょっとまだ心の準備がっ……あっ!」
 抵抗するミリルの手から、コップがするりと抜けて、中身がこぼれてしまいました。
 それはミリルのあごから喉元にかかり、どろりと垂れて服の中へと忍び込んでいきます。
「うにゃ〜っ、き、気持ち悪い〜っ!
 ね、ねえ、ちょっと、タオルか何か…」
 しかし、ミリルがそう言った途端、その薬は皮膚からしみ込むようにして消えてしまいました。
「…あ、あれ?」
 あわてて上着を脱いでみますが、それはどこにもありませんでした。服が湿っている様子さえありません。
 ミリルが不思議に思って、自分の体を見ていると…
(……!?)
 いきなり、体の奥からきた異様な感覚に、ミリルは体を抱きかかえてうずくまりました。
 自分の能力であるメタモルフォーゼの感覚とは全く別の、異質な感覚。
 その感覚が体の中で、一気にはじけ飛んだ次の瞬間!

「…うそっ……?」
 ミリルの姿は、ルティそっくりに変身していました。

「やったぁ、お薬大成功〜!」
 ミウが飛び跳ねて喜んでいます。
「うんうん、これなら誰に見られてもミリルだって気付かれないだろう。じゃあさっそく劇場に…」
「って、っちょっと待ったっ! これはこれで問題だってばっ!」
 ひきずるように連れて行こうとするフィリスに、ミリルは思いっきり抵抗しました。
 上着を脱いだまま変身したので、上半身裸だというのも理由のひとつでしたが…
「え〜っ? ちゃんと、見た目はミリルたんじゃなくなったのに」
「いや、いくらなんでも、うちのみんなっていうのは…あたしのせいで街歩けなくなるのもアレだし…
 そもそも、ルティちゃんはあたしよりもっと有名人だから、色々まずいと思う」
 ミリルの言っている事は、誇張でもなんでもなく、事実でした。
 …今の平和の立役者と言えば、ルティとミリル、この2人をはじめとする8人だと言われています。
 その事は、長い時を生きるミウたちが、知らないはずがありませんでした。
「うーん…仕方ないな。じゃあ、もっと別な姿になろうか」
「うん、そうさせて」
 と、その時。
「…あれ? 玄関開いてる?」
「あ、ミリルさんが帰ってきてるみたいです」
 玄関の方から声が聞こえました。ちょうど、買い物に出かけていたルティとココナが帰ってきたようです。
「ミリルちゃん、いきなり出かけたと思ったら、帰ってきてたんだね。
 ……って……?」
 ルティは、リビングに入ってくると同時に硬直しました。
 目の前には、もうひとりの自分。なおかつその自分が、上半身裸で何か良くわからない液体(=変身薬)を飲んでいるのです。
 そんな光景を見て、正常な反応をしろというほうが無理でした。
「あ、あの、えっと…こ、これは……」
 ミリルが言葉を取り繕おうとしている間に、ココナが警戒しながら近づいています。
「…くんくん。
 ……うに? そっちのご主人さまから、ミリルさんのにおいがするです」
 警戒を解くと、今度は「どうして?」といった感じに、首をかしげます。
 根本的に、ミリルのメタモルフォーゼは、猫の姿と今の姿しか行き来できないのです。他人に変身するなど、もっての他でした。
 それは、不完全ながらも同じ力を持つココナには、よくわかっていたのでした。
「へえ、においまでは変わらないんだな。まあ、ただの人間にそこまで判別する力は…」
「においかぁ…あ、そうだ! じゃじゃ〜ん!」
 フィリスの言葉をさえぎって、ミウはいきなり大きな声で言うと、小さなビンを取り出しました。
 中には、薄いオレンジ色の水が入っています。
「…なにそれ?」
「ニンジンの香りの香水〜〜! これをつければ、ミリルたんの匂いはしなくなるよ」
「そ、そんな香りはいや〜〜〜〜っ」
「ほら、遠慮しないで。いいにおいだよ〜」
「ちょ、ちょっとタンマ! そんなにおいつけなくったって普通の人にはわから…きゃぁぁっ」
 逃げるミリルに、ミウが追いかけて香水を吹きつけようとします。
 ルティとココナは、状況がわからず呆然とするしかありませんでした。

「…とにかくっ! 何が何だかよくわからないけど、とりあえず、あたしの姿で遊ぶのはやめて欲しいんだけど、ミリルちゃん」
「あぅ…あたしだって好きでやってるわけじゃ…」
「遊んでないよ〜。真面目にお仕事だよね、フィリス姉」
「そういうところだ」
 そして、ミウとフィリスは、ルティとココナに事情を説明しました。
 その間に、ミリルは上着を着て、再び例の液体の入ったコップを手に取ります。
「そうだ、ミリルたん。今度は、どんな姿に変身したいかイメージしながら飲んでみて」
 さっきは何も考えていなかったので、ミリルたんにとって印象の強い人物の姿になってしまったのです。
 なるほどルティに変身するわけでした。
「胸はぼ〜んと大きいほうがいいんじゃないか?」
「あ〜、でもミリルたんけっこう大きいから、ちょっと小さくしてみるとか」
 フィリスとミウが横から口を挟む中、ミリルはイメージを思い描きながら、蠢く液体を飲み干しました。
 そして今度は…
「ほぇ〜〜〜っ?」
 ミウが間の抜けた声を上げました。
 それもそのはず、ミリルは、今度はミウに変身してしまったのです。
 でもよーく見ると、胸は「ぼ〜ん」どころか、シリルみたいなつるつるのぺったんこでした。
 …そう。ミリルのイメージ力は、あいにくと貧弱だったのです。
 しかも横から2人がいらないことを言いまくるので、余計にごちゃごちゃになってしまったようでした。

「…な、なんていうか……これは、いいのかなぁ……?」
「まあ、いいんじゃない?
 ミウはこの街の妖精じゃないし、つるぺた趣味の客もいるかもしれない。この姿で、さっそく劇場へ行こう」
「行こー!!」
 陽気にはしゃくミウに、自分の姿を使われて気にならないのかな…と思うミリルでしたが、妖精の思考は人間の思考とは全く別なので、深く考えない事にしました。


 ミリルは募集チラシを持って、劇場に行きました。
 とりあえず荷物として、背中にリュックを背負っています。…実際それは表向きで、実際は、こびとサイズに戻ったミウとフィリスの隠れ場所になっているのですが。
 いかがわしい上、人自体そう訪れることのなさそうな裏路地の奥の劇場だけに、入ったとたんに襲われるのではないかと心配していたのですが、意外にも劇場の従業員たちはあっさりしていました。
 家出少女を装って事情を話すと、
「最初は雑用からやってもらう事になるがいいかね」
 ということで、掃除を任されたのでした。
 ミリルはいきなり「舞台に出ろ」と言われなくて、ホッとしました。
 そして連れてこられたのは、舞台袖へ続く階段のある狭い部屋でした。
「ちっ。掃除だけか」
「ちょっとフィリス! 聞こえてるわよ!」
「…まあいい、かえって好都合だ。掃除のふりをして、モンスターたちのいそうな場所を探そう」
「探さなくても大丈夫、ちょうど目の前に檻があるから」
 そう。よほど他にスペースがないのか、そこには、モンスターたちを閉じ込めた檻が並んでいたのです。
「…あ、昨日のあの子、いたよ」
 檻の一つに目をやると、見覚えのある触手モンスターもいます。
「そうか、じゃあ、どうやって皆を逃がすかな」
「鍵がいるよね〜。あ、でもミリルたんの怪力で」
「人をバケモノみたいに言わないでっ!
 …無理とは言わないけど…」
 そうやって3人が作戦を考えていると、劇場の支配人が慌てた様子でやってきました。
 慌てて会話を止めたミリルは、支配人から悪魔の一言を聞かされたのでした。
「出演予定の女の子がひとり出れなくなった。かわりに出てもらうぞ」
「ふにゃっ!? ちょ…ちょっと待って、や〜んっ」
 ミリルは荷物を降ろされて、舞台の方へと無理やり連れて行かれてしまいました。

 …支配人とミリルが去った後、残されたミウとフィリスはというと、リュックの中に隠れて様子をうかがっていました。
 やがて舞台が開演したのか、あるいは始まろうとしているのか、大きな歓声が聞こえてきました。
 そして、もうしばらく待っていると、ムチを持った男がやってきて、モンスターの檻の鍵を開けました。
「さあ、仕事だ、出ろ!」
 パシーン!
 ムチで床を叩いてモンスターを脅し、連れていこうとします。
 その音を合図に、
「今だ! ミウ!」
「何だ……うわぁぁっっ!?」
 ミウとフィリスは魔法で大きくなって、近くにあったほうきとバケツで男をやっつけました。
 男の腰から全ての鍵を奪うと、片っ端から檻の鍵を開けてまわります。
「さ、今のうちに逃げようぜ!」
「大脱出〜〜〜」
 ミウとフィリスは、無事全てのモンスターを連れ出して、ルティの家に戻りました。
 そして、モンスターたちはみな、この家に一時的に保護すると言うことになり、無事に事件解……
「…って、あれ? 何か忘れ物してるような…」


 その頃、忘れ物のミリルはといえば、舞台袖にいました。
 開演直前の、むさくるしいほどの熱気がここまで伝わってきます。
「うう……なんでこんな事に…」
 正直、あたりの男たちをなぎ倒してでも逃げたい気分でしたが、ミウとフィリスがモンスターたちを逃がした事を確認できるまでは、荒事はできませんでした。
 しかしその時、ミリルに天使が微笑みました。
 舞台袖の階段下から、触手モンスターに逃げられたという情報が飛び込んできたのです。
「なんだって!? それではショーにならないではないか!」
「そう言われましても、私たちも今必死に…」
「どうした、早くしろーっ!!」
 舞台袖で支配人と従業員たちがモメていると、その声さえかき消さんばかりに、いつまでも始まらない舞台に憤りを感じた客たちが、暴動を起しそうな勢いで叫んできました。
「…仕方ない、モンスターが戻るまで、適当に時間稼ぎをしていろ!」
 苦渋の顔の支配人の命令に、舞台慣れした少女たちが数人飛び出していきました。
 その瞬間、怒りの声は一気に歓声へと変わります。
 そんな、色めきたった観客の声を受けて、舞台上の少女たちはストリップや扇情的な格好を、惜しげもなく披露していました。
「ほら、お前も出るんだよ」
「いや、そう言われても…」
 支配人の言葉に、ミリルは困った顔をしました。
 目的は果たしたので、これ以上の長居は必要ありません。
 適当にごまかして逃げるしかないかな、と思ったミリルでしたが、その時。
「ええい、つべこべ言わない!」
「ふにゃぁっ!?」
 支配人は不意にミリルをどつきました。哀れミリルは、舞台の上に飛び出してしまったのです。

 観客は、新たな女の子の登場に、よりいっそうの歓声を上げました。
 その声をよそに、ミリルは、あまりといえばあまりのことにどうしていいかわからなくなって、ただ立ち尽くしていました。
 しばらくそうしてから正気に戻ったミリルは、慌てて舞台袖に引っ込もうとしましたが、それに気づいたねこみみの女の子がすぐさま駆け寄って、背後から抱きしめてきました。
「ひゃぁっ!?」
「新人さんね?」
「えっ? あっ…そう…じゃなくて…」
「…大丈夫、こわくないから、私に身を任せて」
 しどろもどろに答えようとしたところ、耳元に息を吹きかけるようにささやかれて、ミリルは大きなうさぎの耳をぴくぴくと動かしながら、小さく声を漏らしてしまいました。
「ふにゃぁ…っ」
 耳は性感帯でこそありませんでしたが、亜人種にとっては感覚的に弱い場所です。変身している今でも、それだけは変わらなかったようでした。
 わかっていると言わんばかりに、女の子はミリルの身体のあちこちを撫で回します。
 ただ、性感帯だけには決して触れてきません。なのに。
(やだ、こんな、人前なのに…)
 まるで性感帯を責められている時のように、少しずつ、体が火照ってくるのです。
「ほら、体が熱くなってきた…それじゃあ、服は要らないわよね? 脱がせてあげる」
「ちょ…やだっ」
 手荒な真似をして逃げるのは簡単でしたが、彼女たちに罪はありません。しかし逆にやんわりと逃れようにも、言葉と手のテクニックは、女の子の方が何枚も上手でした。
 逃げる手段を模索している間に、ミリルの服に手がかけられ…
(だめ……っ!)

「そこまでだ!」
 ミリルの胸がさらけ出される後一歩というところで、自警団の面々が駆けつけ、劇は中止になったのでした。
 『モンスターの不正捕獲と酷使』による摘発。
 ミリルたちが出て行ったあと、ルティが自警団に掛け合った結果こうなったのですが、ミリルには、助かった以上、そんなことはどうだってよかったのでした。


 ミリルは、家まで帰ってくると、思いっきりドアを開け放ちました。
 もちろん、人を完全に放置して帰ったミウとフィリスに文句を言う気は満々でした。
 が。
「ふにゃぁぁぁっ!?」
 いきなり伸びてきた触手の一本に足を絡め取られると、いきなりリビングに引きずり込まれました。
 そこには、あの時檻に捕まっていた数体の触手モンスターたちがいました。
 その触手に、にミウとシア、ココナが捕まって色々なことをされています。
「え……?」
「うに〜っ! ミリルさん、コレってどういうことなんですかぁ………やぁんっ、そ、そこはダメです〜」
 …触手モンスターたちは、檻に捕まって、ろくに食事を与えられていなかったので、とてもお腹を空かせていました。で、そんな触手モンスターたちを、女の子ばかりが住むこの家に保護したらどうなるか。
 それは、もちろん…
「あ、あ…あたしが聞きたいってば〜っ! ふにゃぁぁぁんっ」

 そして、リビングに、女の子たちの熱く切ない声が唱和しました。


 ちなみに、上手く逃げたフィリスは中の事情などそ知らぬ顔で、庭でシャルロットと一緒に、ルティとシリルが淹れた紅茶をすすっていたそーです。

おしまい。


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